さかなクンの愛にあふれた人生

先日さかなクンの自叙伝、『一魚一会』(一期一会を捩ったタイトルである)を読んだ。
『一魚一会』にはさかなクンが絵を描くことに夢中で、トラックやタコ、そして魚に夢中になり、絵ばかり書いていいた幼少期(幼魚期)から絶滅種とされていたクニマスの生存確認に成功し、内閣総理大臣賞受賞、東京海洋大学からの名誉博士号授与までが詳しく書かれている。

さかなクンは当然、単に芸能界から注目されたラッキーな人ではなく、幼い頃から魚の研究を怠らなかった、まさしく努力の人であった。
その努力の原動力ともなり、支えとなったお母様の献身さにも改めて驚かされた。
幼少期、東京都のごみトラックに夢中だったさかなクンを、トラックの車庫まで連れて行ってくれたり、タコに夢中になったさかなクンの為に、何か月も毎日タコ料理を出してくれたり、水槽を幾つも買って畳を腐らせても怒らなかったり、数十万するバスクラリネットを買ってあげたり...とにかくさかなクンに可能性があると思った事を、すぐに実行に移す行動力と信念のある女性であった。
授業中、絵ばかり描いていて勉強を全くしないさかなクンを、学校の教師は度々「絵を描くのも大事だが、勉強もしないとこれから苦労する」と注意するが、さかなクンのお母様は「あの子はあれでいいんです」と言って、決してさかなクンの在り方を否定することが無かった。毎日好きなだけ魚と向き合って絵を書いていても「勉強しなさい」等と怒られることは一度も無かったという。心底自分の息子を信じての行動だったのではないだろうか。

さかなクンはいじめにあう事もあったのだろうが、恐らくあまり相手を悪く思わない為、気が付かなかったのではないかという事を、文中にしばしば感じた。
ジャイアンタイプの子や、不良っぽい先輩にいじめられそうになっても、魚釣りに誘って、仲良くなったりスイスイ世の中を上手く渡って来たように感じられた。
また絵ばかり描いて、友達も少ないなりに、ミーボー新聞(当時のあだ名)なるものを学校で作成し、魚博士として人気者になって行ったり、周りからも愛されて生きてきたことがうかがえる。

特にさかなクンに大きな影響を与えたのが、魚屋の小松のにいちゃんでは無いだろうかと感じる。小中学時代、さかなクンは自宅から自転車で40分、電車で2駅先で、片道1時間かかるその道のりを足蹴く通っていた。小松の兄ちゃんはパンチパーマで見た目はいかついが、とても優しくさかなクンに色々な魚の事を教えてくれたり、珍しい魚やさかなクンが望む魚を入手すると、家まで電話をかけて教えてくれるのである。

そんな風に周囲の愛と良縁にはぐくまれ育ったさかなクンは、素直にすくすく育ち、TVチャンピオンをきっかけにTVでの仕事に恵まれていく過程が、大変感動的だった。

しいて、さかなクンの人生の中でかわいそうに感じたのは、大学進学を断念せざる終えなかったことである。さかなクンの小学校卒業文集に乗せた夢は、東京水産大学(現在は東京商船大学と統合し東京海洋大学となっている)の先生になり、自分の魚の知識を皆に教える事であったが、成績が悪く受験することが出来なかった。またもう1校推薦で受けたが、まさかの不合格。
さかなクンの優秀さは、高校時代から顕著であった。
まず当時珍しかったカブトガニの人工孵化に成功し、新聞にも取り上げられていた。
またTVチャンピオンで準優勝(その後5連覇の殿堂入り)するなど、東京水産大学でさえ取るべき生徒であったと思われる。
しかしその後、絶滅種とされていたクニマスの生存確認に成功し、天皇陛下のお誕生日には称賛のお言葉を頂き、東京海洋大学からの名誉博士号授与、現在准教授として働いているため、子供の頃の夢は叶えたことになる。

「言葉に出すと夢はかなう」とさかなクンは著書の中で説いている。好きな事を追い続けることが夢をかなえる秘訣なのだそうだ。

 さかなクンは今日も、感謝の気持ちを忘れず、愛にあふれた生活を送り、夢を生きている。