イスラエル・エルサレムに着く

エジプト、シナイ半島の観光を終えた私は、その足でイスラエルエルサレムに渡った。
バスはイスラエル国境近くのリゾート地、ターバまでだった為、そこからドイツ人の男の子とタクシーを乗り合い、イスラエルに向かった。

イスラエルの国境では荷物をこすられ顕微鏡で見たり(恐らく麻薬検査だろう)、体中を触られたりしたが、そこまで尋問の様な質問を受けることなく入国することが出来た。
イスラエル入国のスタンプのあるパスポートを持つと、イスラエルに友好的で無い、幾つかの国の入国を拒否されることになるらしい。頼めば別紙にスタンプを押してくれるそうだが、移動経緯からばれれば入国を拒否されるらしい。少しパスポートのスタンプを貰うのが怖かった。

男の子とは、バスターミナルで別れ、私はすぐにエルサレム行きのバスに乗った。

イスラエル国内に入ると、バスの休憩所と言いトイレの綺麗さと言い、エジプトとは圧倒的な国力の違い、豊かさを感じる。
街中には黒いスーツと、シルクハットの様な帽子、長い髪を二つにドレッドしたようなユダヤ人の姿が見え始める。
「ああ、イスラエルに着いたんだなぁ」と実感する。
やがてバスはエルサレムに近づき始め、旧市街や岩のドームが全貌が見え始めると、バスの中の観光客も色めき立ち、写真を撮り始める。ここはイスラム教、ユダヤ教キリスト教、三大宗教の聖地である。改めて強烈な印象である。

目的地の旧市街地までバスでやってきた私は、ライオンゲートから旧市街地の中に入り、(道を聞いたタクシードライバーや観光案内所の親切さからも、エジプトに無い安心感を感じる)、目的の安宿に向かった。
宿に到着すると、ユダヤ人男性が宿泊の手続きを始めた。「同じ名字でないと、男女の同室は不可」「アルコールの持ち込み不可」と書いてあるのを見て、小さなカルチャーショックを感じる

荷物を置いてその足で岩のドームに向かう事にした。有り難い事に旧市街地にも英語の親切な案内がある。

別件だが、エルサレムに来て驚かされることは10代の中高生のアメリカ人の多さである。アメリカ人専用の村のような場所まであった。一瞬アメリカの学生街に来たのかと思うほどである。とある女の子に、道を聞いたついでに、集団で修学旅行にでも来ているのか聞いてみると、多くのアメリカ人がイスラエルに留学するという。(目的や期間などももっとお詳しく知りたかった)アメリカ人の移住も多いようである。いったい何故だろう。

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岩のドームに無事着いたものの、イスラム教徒でないと中には入れないらしい。折角来たのに残念である。
しかしここで私の体にも異変が!!長旅による疲労と強烈な暑さからここで、非常に強いめまいに襲われた。我慢できず座り込んでしまったが、みな一瞥し通り過ぎていくだけで誰も声をかけてくれない。
「この日はこれ以上の観光は無理だろう」とここで、私は判断し宿に戻ることにした。
どうにかこうにか宿に戻り、部屋で寝始めると、相部屋の中、白人女性二人が私を不思議そうに見ていた。
海外では挨拶もせずにいると怪しまれるが、気分悪そうに寝ている私は、さぞかし不気味だったであろう。

夜になり、気分が良くなってから彼女たちと話すことになった。南アフリカから来ているという。そういえば南アフリカにも白人は多いしなぁと思った。彼女たちの話す言語は、オフリカーンス語と英語だそうで、彼女たち同氏は英語でしゃべっていた。
この英語がかなり不思議なのである。発音が独特で、鼻に抜ける様なフランス語に聞こえ、「Year」の事を「ヨー」と発音する。一瞬彼女たちの英語に慣れなかった私は「フランスの方かと思いました」というと、やはり「よくフランス語と間違われるのよ」と口々に言っていた。

彼女たちは死海のスパからちょうど戻ってきたとの事である。死海の泥を全身に塗るとすごくきれいになるし、最高のリゾートだったと言っていた。
死海と言えば塩分濃度が、普通の海より6倍高く生物も存在せず、あのプカプカ浮かぶ海である。
日本人にはなじみが薄いが、ヨーロッパ人には人気のリゾートらしい。今回の旅の予定には入れていなかったが、彼女たちの話を聞いているうちに、行きたくなってきた。せっかく遥々イスラエルに来ているのである。
調べてみると、ツアーだと馬鹿みたいに高いが、自分でバスに乗り継いで乗って行けば、安上がりである。明日の聖なる金曜日のイスラエルは見たいが、その後に死海にも行くことにした。

お酒が少し飲みたかったが、持ち込み禁止な為、その日はそのまま寝ることにした。