イスラエル:死海へ行く

聖なる金曜日の翌日、私は宿をチェックアウトしようとした。大きなバックパックを抱え街に出ようとする私を、宿の主人は「今日はシャバス(安息日)だから、店も閉じてるし、バスも止まっていて何もできないから」と止めに入った。だが早くも死海へ向かいたい私は「何とかなるんじゃない」とお気楽にそのまま宿を出た。

街そのものは観光客などで賑わっており、「なんだ、大丈夫じゃん」という気分になった。
しかしバスターミナルに着いてみると、シャッターは全て降りており、午前の便には乗れそうにない。街中を歩き途方に暮れた私は、歩き回るうちに住宅街まで来ていた。熱中症を起こさないように、木陰に入って座り込んだ。日没まで待てば町は動き出すし、夜の便に乗って死海に行くことを検討していた。食べる場所も無いし、宿泊先に戻る事も考えていた。
と、その時だった。可愛い双子の女の子たちがニコニコしながら、私にリンゴを届けてくれた。軒先の両親の元に戻ると、次はブドウを手にして私に渡してくれた。正直暑さと行く当てもない疲れを感じていた私は、心からこの可愛らしい二人の笑顔に癒された。ご両親はユダヤ教徒であった。安息日で、何の店もやっていない状況で、木の下で座り込んでいる東洋人の私を見て心配してくれたのであろう。異教徒と話してはいけないという彼らだが、礼を言いに行った。目は合わせられないようだったが「別になんてことないよ」と言っていた。思いやり、人類愛とはこういう事である。
旅先で想わぬ助けにあい感動することがある。これもその一つである。私も日本に来た観光客が困っていたら、積極的に助けてあげたい。

日が落ちるとバスターミナルのシャッターが開き始めた。胸にたまっていた不安が消え心から安堵した。これで直行便ではないが死海行きのバスに乗り込める。

イスラエルでは公共交通機関は比較的日本同様に時間通りに来る。まずは経由地までのバスに乗り込んだ。
経由地で降りたは良いものの、何もない場所であり、真っ暗な場所に立っていると死海行きのバスがきちんと来るのか不安になってきたが、時間通りにバスはやってきた。後はユースホステルの前で降りるだけである。

夜23時ごろ、目的地のユースホステルに着きチェックインの手続きをした。この時レセプションに居たのは若い男二人である。生憎満席の為、隣のホテルにも空きが無いか、見に行ってくると言われた。暫くすると戻ってきた男はそちらも満席の為、空きが無いと言ってきた。
困った表情を見せる私に対して、男は「俺の部屋に泊まるなら、問題解決だ」と言ってきた。若い女性が男性の部屋に泊まれるわけがない。二人の表情を見ると満室というのが嘘だと直感的にすぐに分かった。怒りが込み上げてきた私は、一瞬死海の浜辺て寝ようかと思ったが(馬鹿)、夜の海辺は危険だと思いなおし、「だったら、申し訳ないけど、ロビーのソファーで寝かせてください」とお願いした。男は勝手にしな、といった表情だったが、それが一番である。私は運よくソファーで寝ることを承諾してもらった。1度また男が来て、自分の部屋に来ないか、声をかけに来たが断って、ここで寝ると言って、私は眠りにつくこととなった。

ソファーでは全く眠れなかったが、朝が来た。私は朝食代を交渉して支払い、ホステルで朝食をたらふく食べた。嫌な思いをしたが、ここは死海である。テレビで見て憧れてはいたが、行き当たりばったりで来れるとは、夢にも思ってなかった場所である。

f:id:fly_butterfly:20190403184711p:plain

死海の色は何とも言えないエメラルドグリーンの美しい色だった。体を浮かせてみるとなるほど、プカプカ浮かぶ。器用な人であれば水の上で立ち上がり、歩いてくこともできるらしい。
しばらく浮遊し不思議な感覚を楽しんでいたが、肌の弱い私には死海の塩はヒリヒリする上、(傷などがある人には非常に痛い)目に入ると痛いなんてものでは無い為、早々に海を上がり、美肌用の泥を塗れる場所まで歩いて行った。
浜辺に置かれたドラム缶のような場所に、大量に泥が入っており、たっぷりと泥を体中に塗り付けた。この時、一人のイスラエル人の男の子(少学6年生くらい)が私に話しかけてきた。彼は自分がどれほどイスラエルが好きかを語っていた。イスラエルについて、不思議だったことは、若者がみな「I Love Israel」と愛国心を語る事だった。3.11以前の日本人には、余り愛国心という気持ちは無かったのではないかと感じるが、当時の私にはそれが不思議であった。イスラエルでは兵役を終えると1年程度世界旅行をするらしいが、そういったことが愛国心を育てているのかもしれない。
彼は日本の事も色々と聞いてきた。雑談をしながら二人で、泥だらけで真っ黒になったが、洗い流してみると、南アフリカの女の子たちが言っていた通り、肌はツルツルになっていた。

しばらく死海を楽しんだ後私は、死海の泥パックや石鹸など、ちょっと重い土産を抱えてエルサレムに戻ることに会った。一瞬エルサレムに戻ったら、次はヨルダン出発である。