エジプト:シナイ半島に渡る

昨日の色々は忘れて、さて次は旧約聖書モーゼの辿ったシナイ半島を渡りイスラエルである。私のプランは、モーゼが十戒を授かったというシナイ山を越えてイスラエルに入るとまさに、旧約聖書通りの旅路である。
カイロでの民宿からは成田空港で出会った女の子からの私への置手紙があり、シナイ半島のリゾートを民宿で会った男の子たちと行くとの事であった。

と、ここで悪いニュース。シナイ半島にてテロ予告があったとの事。一応外務省のHPを調べてみると、これから向かおうとしているシナイ半島は真っ赤になっており、退避勧告が出されている。さあどうするか。取敢えず女の子にメールしたら即レスがあり「心配なくビーチで楽しんでいる」との様子だった。民宿にも他の日本人がいたが、シナイ半島は今は避けた方が良いと言っており、40代くらいの女性にも「命が惜しくないなら勝手にすれば」くらいの言葉を受けた。
私の予定的に、エジプトでこのまま時間を過ごすと、旅のスケジュールが大変遅れる。また、このままエジプトにいづつけていても仕方ないので、気にせず出発することにした(若気の至りで、まだ恐ろしさを知らなかった私)

バス停に行き、シナイ山への長距離バスのチケットを買い、私はバスに乗り込んだ。なぜか出発時にヨーロッパ人女性が目に入り、この方が今後大きな助けになってくれることになる。

エジプトからシナイ半島に渡る旅は言い尽くせないが、大きな感動があった。まず砂漠地帯である。砂漠というか大きな砂山が段々と連なっている様子が印象的であった。
途中兵士が多い事も、エジプトーイスラエル間に韓国・北朝鮮の様な非武装地帯がある事を物語っていた。また、紅海も美しさが絶妙であった。あの蒼い色は写真では語りつくせえない濃さがある。

シナイ山付近のリゾート地につくと、先ほどから気になっていたヨーロッパ人の女性が(エリーザさん)話しかけてくれた。どうもスロベニアから来たその女性は、博士業でありこの辺りの事も、非常に詳しかった。
シナイ山のリゾート(?)に着くとオーナーらしい男性が出てきて、我々二人の歓迎をするとともに、両親がどれだけ裕福で博学であるかの自慢が延々と始まった。
これはエジプト人の男性の象徴らしいが、「またかよ」と思った私はうんざりした様子を隠せなかったが、エリーザさんは落ち着いて受け止めていた。自慢話が終わりなる時間になった。9時頃だったが、明日のシナイ山のご来光を見るために3時ごろには起床しなければいけない。私は早々に眠りにつくとした。

ロッジに向かう途中、エリーザさんに「さっきの私感じ悪かったですかね」と話したら「あなたの姿勢は正しいのよ。海外では誰にも甘い顔は出来ないから。エジプトの男性は大体ああだけど、プライドを傷つけてはいけないの」と言ってたしなめてくれた。

午前3時ごろ、 エリーザさんが、私の事を起こしに来てくれた。また親切にも山のふもとまで送ってくれた。28回ほどここにきており、土地勘があるとの事である。
そんなこんなで私の登山は始まった。途中で「ガイドが居なくては上にはいけないぞ」等言ってくるような連中や、ラクダでの登山を進めてくる連中をよそに、黙々とし登山が始まった。途中、何か所か休憩する場所があり、互いに観光客は励ましあい、頂上を目指した。

5時前後だろうか。私は頂上に着くことが出来た。ギリギリの到着である。
様々な山の山間から日の出が始まった。ユダヤ教徒があがめて長いご来光の登場である。様々な人が手を合わせご来光を見つめている。
日の光が出始めると共に、辺りが暖かな朝日に包まれる。そんな幸せな瞬間を誰もが感じた瞬間であったであろう。

ご来光を望んだ後に私は、下山時にイスラム系イギリス人の男の子たちと統合した。
ツアーで参加したらしく、その後のツアーも一緒に誘ってくれた。
その後のホテルでの朝食も誘ってくれたが、当然他人のツアーに相乗りするのは居心地のいいものでなく、朝食代をホテルに支払った。その後一緒にバンに乗せてくれたが、よそ者の私は無理を言って途中で降りてしまった。ここが悲劇のスタートであった。

降りた場所は幾つもの白のスークで作られた、完全に原住民の場所であった。羊たちを連れ、完全に黒の服で覆われた、外国人を見た事が無い女性たちが、私を見て、次々に逃げてゆく。
困った私は男性に助けを求めたが、なにやら私を村長(少し偉そうな場所?だった)らしき男性のところに連れて行った。英語はもちろん通じなかったが、バス停は無いかと何度も英語で尋ねた。
私が切羽詰まっているのを、よそに何やら紙で草を巻きふかし始めた。(恐らくマリファナである)現地語で「まあ、まあ、ゆっくりしなさい」と言っている様であるが、怖くてたまらなかった私は、何度も英語で助けを求めた。
すると、最終的に村長?らしき男性は、バイクとカートに乗った男性を連れてきて、乗るよう指示してきた。どこに連れていかれるのか、ますます不安になったが、何とかしてくれるだろうと信じ恐る恐るカートに乗った。

結局連れていかれた場所は交番であった。本当に親切心を示してくれたのに、ちゃんとした礼が言えなかったと悔いた。
宿泊地の名刺を警官に渡すと、宿泊先に電話をかけてくれてたため、宿泊先が迎えに来てくれた。何ともまあ、情けないシナイ山観光で会った。私はその足で、宿泊先をチェックアウトし。イスラエルへと向かったが、エリーザさんに礼を言えなかったのも心残りであった。

だがメール交換はしていた為、この後、しばらく彼女とは交流が続いた。
・・・というかすぐに、「山で道に迷ったそうだが大丈夫だった?」との連絡が来た。
何とも恥ずかしい。