ヨルダン:ペトラ遺跡

さて、ヨルダンに向かうために一瞬エルサレムに戻ってきた。
なんと旧市街で、一緒にエジプトからイスラエルに向かったドイツ人の男の子と再会した。(案外観光スポットの狭さに気が付く)これから私がヨルダンに向かう事を話すと、かなり汚い言葉で「ヨルダンはクソだ。行く必要ない」と遺憾な態度を示していた。何がそう酷いのかを語る前に、男の子は去って行ってしまった。

結局私はバスでヨルダンに向かい、夕方頃アンマンに着いた為、次の日のペトラ遺跡観光に備え、また相部屋の安宿に泊まることになった。
相部屋となったのはイタリア人と、イギリス人の女の子の二人で、一緒にドイツの大学に通う友人との事だった。二人とも流暢な英語を話していた為、(イギリス人は当たり前だが)恐らく社会的身分の高いお父様の仕事柄、海外経験が豊富なのだろうと何となく理解できた。
イギリス人の女の子は、幼い頃、米軍関連のお父様の仕事の都合で、横須賀に住んでいたという。が、記憶しているのは、小学生がみな黄色い帽子をかぶっていることが面白かったという事のみのようだった。
当時はまだ2006年だった為、私はEU統合について二人にどう思うかを聞いてみた。2人とも「ヨーロッパの国々は、それぞれ言語も文化も違うため、EU統合については反発しあっており、難しいだろう」との意見だった。
就寝時間となったが、イタリア人の女の子は眠れないようでずっと編み物をしていた。

さて翌日、楽しみにしていたペトラ遺跡に到着である。
この遺跡はとにかく広い為、全て見たいと思ったら、丸一日必要であるが、私は夕方のバスでエルサレムに戻りたいため、半日コースとした。
馬車やラクダが行きかう、岩間を歩いていくと、まるでインディ・ジョーンズの世界に来てしまったかのように錯覚する。その岩間の中から、壮大な宮殿が現れるがこれもまた絶景である。

f:id:fly_butterfly:20190404173748p:plain

とにかく所々にこの様な、立派な彫り物がある壮大な場所の為、まわるのも大変で(山の上の遺跡などもある為、炎天下の中、大変な登山もある)所々でラクダやロバの客引きが声を掛けてくる。日本語で話しかけてくる土産物屋もいた。
登山のきつい場所で、もう限界と思った時、一人のロバ引きの男の子が(小学4年生くらい)タダで乗せてやると話しかけてきた。ここでは誰も信用できない。タダで良いと言っておきながら、後で料金を請求してくるに違いない。ほぼ無視を決め込んでいたが、しかし段々疲れてきた私は、結局この少年に乗せてもらう事にした。
目的地にたどり着いても少年は、料金を請求して来なかった。恐らく疲れて見える私を気遣って、無料で乗せると言ってきてくれたのだろう。
旅で悲しい事はこういう事である。海外では騙されることも多く気を張っていなくてはならないが、本当に善意で行ってくれたと気が付くと、申し訳ない気持ちになる。今回もここが最後の遺跡見物であった。

ペトラ遺跡見学後、エルサレムに戻る私だったが、そのバスの中でとんでもない思いをする。詳細は次回に!