エジプト・アレクサンドリア:カフェでボッタクられる

さて、エジプト・ターバを後にした私は、再びカイロ市内へと戻ってきた。
紅海は非常に青々とした美しい海であり、それをバスで後にするのは少し後ろ髪をひかれる思いだった。バス内で、隣だった中年のアメリカ人男性がやたらしつこくカイロ市内でも飲みに行こうと誘ってきたが、「カイロに知り合いがいる」等断るのに苦労した。自分も自分だが、何ゆえにこの人はこんな旅をしているんだろうと疑問に思った。
カイロに戻ったのは、夜だったが、最初は何も食べれなかった私も、現地民向けの安い食堂でコシャリを食べる程、慣れてしまっていた。

翌朝、私は電車でアレクサンドリアに日帰り旅行に向かった。
アレクサンドリアはカイロに続く、エジプトの第2の都市で、地中海沿いに面しており、欧米化が進んでいる町と聞いていた。カイロの様な嫌な思いはここでは無いだろう...と私はこの時考えていた。
町の印象は屋台で牛の頭やら色々な部位が売っていたりと、中東らしい雰囲気である。

アレクサンドリアに着いた私は、着いて早々カフェに入った。そこで私はコーヒーを1つ頼んだ。
しかし運ばれてきたものは、コーヒーとケーキであった。
私はすぐに、ケーキは頼んでいないと断った。しかしウエイターはケーキはサービスだといった為、私はコーヒーとケーキを食べて会計を頼んだ。
すると先ほどのウェイターがコーヒー代とケーキ代を請求してきたのである。
私はケーキはタダと聞いていると反論したが、サービスではないと言われ、コーヒー代とケーキ代を請求された。
怒った私は「コーヒー代だけ受け取るか、何も受け取らないか、どちらか選んで」と言ったところ、コーヒー代とケーキ代を払えと言われた。
「分かった。そんな人間に払う金などない」と言って私は店を後にした。
怒ったウェイターが追いかけてきたが、私は悪くないっとはねつけて、逃げ切った。

不快な思いをした後、地中海の浜辺に向かった。夕暮れ時の地中海は美しく、「クレオパトラもこの海を見てカエサルを待ったのだろうか」とぼんやり考えていた。するとここでエジプト人男性が話しかけてきたが、これをあからさまな態度で避け続けていると「Ok、君が一人で痛いのが分かったよ」とかなりしょんぼりされた為、自分が悪い事をしているかのような気分になった。
浜辺付近には西洋風の宮殿の様な建物もあり、「なるほど、欧米化が進んでいるとはこのことか」と感じた。

帰り道、駅前の例のカフェは嫌でも通らなければならない場所だった。
私が通るのに気が付くと、ウェイターが飛び出してきて、料金を支払えとすごい剣幕で怒ってきた。嘘つきに払うお金は無いっと私は頑として払わずにいると男は「Bitch!!(メス犬:女性を侮辱する意味でつかわれる)」と怒鳴った後、天を指さし「アラーよ、この女に不幸を与えたまえ」と呪文の様に言い始めた(アラビア語は分からずも、何故かそのような事を言っているだろうと分かった)為、私も「アラーが何よ!」とかなり不適切な表現で(若気の至り…情けない)言ったところ、凄い剣幕で追いかけてきたため、こちらも全速力で逃げた。

それがエジプト最後の日である。
夜はエジプトの水たばこ屋でシーシャを吸ったが、これはエジプトに行かれたら是非お勧めである。店の腕にもよるが、吸っていると頭が少しクラクラして気持ちがいい。
カイロの喧騒を見ながらの水たばこは、何とも風情があった。

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翌日安宿で会った男の子2人と(1人はターバで会った大学院生。エジプトで研究をしている)韓国経由のフライトが一緒だった為、3人でタクシーをシェアして空港に向かった。
この2人とは日本に帰ってからも連絡を取り合っており、色々と学ぶことも多かった。

以上が私のエジプト・イスラエル・ヨルダンの回想記である。
1人旅では大変な事もあるが、生涯忘れる事の出来ない感動的な思い出を作ることが出来る。今回の様なバックパッカーの旅は欧米では、高学歴な人のやるステータスらしい。是非若い人には、世界をバックパック1つで回ってほしい。
その後就職するにしても、何かをするにしても良いアイデアが浮かんだり、きっと良い影響を及ぼすはずである。