藤井フミヤのコンサートに行く

三軒茶屋昭和女子大藤井フミヤのコンサートが行われることになった為、我々夫婦は、自宅から近くのコンサートは幸いと早速申し込みをしていた。

当日はレンタカーを借りて、午前は慈恵医大で首のMRI、そして一度家に帰ってから再び車で昭和女子大へと向かった。
当日会場は超満員、また中年の女性ばかりで、夫は浮いて見えた。

今回のコンサートはバイオリンやビオラ、パーカッションなどのクラシカルな楽器を使ったコンサートで雰囲気が良く、客もおとなしく座って鑑賞しているので助かった。
驚いたのはやはり藤井フミヤさんの圧倒的な歌のうまさであった。
当たり前かもしれないが、声の美しさもさながら声量も大きく、164cmという小柄さは全く感じられない迫力であった。TVで見るのでは分からない歌唱力であった。

コンサート全体が第一章から最終章までで物語調でつづられており、フミヤさんがマイケル・ジャクソン真柄のマリオネットの様な踊りも披露してくれていた。
途中の語りの中でのマイクの不具合も、ユーモアで切り抜けたり、場数を踏んだプロというものはこういうものかと感じさせるシーンもあった。

フミヤさんと言えば絵も非常に上手でニューヨークで個展を開いたこともあるらしい。イケメンだし天は二物を与えているのである。
フミヤさんの曲は3-4曲しか知らないが、知っている曲はどれも思い出深く、とても楽しめた2時間であった。
余りフミヤさんファンは騒がないようであるし、癒されたいときにまた絶対に行きたいと思う。

福井に行く

福井県にてインフルエンサーのイベントがあった為、レンタカーで足を運んだ。
イベントの第一部は市橋正太郎×あんちゃ×しゅうへい×ぽかべ、第二部はキングコング西野亮廣×箕輪厚介という何とも豪華メンバーであった。

東京から福井まで車で移動など無謀に感じたが、夫が私の足の事を気にかけてそうすることにした。最寄りの路線がその日全面運休であり、高速に乗るのに2時間かかり、
また途中で高速を間違えて降りた為、9時間かけて福井に到着した。
福井の宿泊所に到着したが、本当に山ばかりで何もない場所で会った。だが雨の後の緑の香りがすがすがしい、ペンションであった。

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近くの旅館の温泉に行くという選択肢もあったが、この日はシャワーのみで夕食を胃取る事にした。

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ザ・山の幸たっぷりの食事

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福井は蕎麦処。冷たいそばにおろしが絶品

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土鍋で炊き立てのご飯。地元のコシヒカリ

その日は早めに寝て2日目、後援会の日を迎えた。

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2日目の朝食

昼まで寝た後、車で30分ほどかけて会場に向かった。会場に簡単なカフェブースの様なものがあり、そこで昼食の蕎麦を食べたが、これがまた絶品であった。さすが蕎麦処である。

さてイベント第一部。ぽかべさんが主宰してトークセッションが始まった。
第一部は良くも悪くも「なぜインフルエンサーになったか」「どの様に発信していくか」等々、事前に打ち合わせがされたような卒のない、セッションであった。

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第一部

しかし荒れたのは第二部であるなんと、幻冬舎箕輪さんが泥酔状態で現れたのである。
何倍もおかわりし、「なんかこの店(酒出るの)遅いねー」という始末。また地震が来ているだの何度か連呼した挙句、居眠りまで始めてしまっていた。また途中でトイレにまで行ってしまった。かなり強烈であった。

強烈に思ったのは、我々だけでなくしゅうへいさんもそうであったらしい。
トークセッションの初めに箕輪さんが、「なんか第一部見てたけど、グダグダ能書きたれてるのが居た」と言われ自分の事だと思ったらしい。また今後イケハヤ、はあちゅうなどインフルエンサー単体でやって行くのはもう難しくなる等と言った発言まで出た。
これを聞いたしゅうへいさんは、その日のうちに収入源だったnoteの「インフルエンサー1年目の教科書」の販売を辞め、Voicyで公式にインフルエンサーを辞めることを発表してしまった。またスポンサーなど収入源を次々に切ってしまったのである。
https://voicy.jp/channel/767/51456

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第二部

箕輪さんの言葉で印象に残ったのは、「勉強は誰でもできる。ただ何かを成し遂げるには、ある種の理不尽さをねじ伏せる必要があり、これは誰にでもできる事ではない」という事だった。(どういう事なのだろう...)

その後懇親会があったが私達はスキップして、宿で食事を取ることにした。
また会場外に箕輪さんがいた為、記念撮影して頂いた。

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しゅうへいさんにTwitterで応援のコメント送っておいたが、「僕が甘かったんです」というお返事が...何だかしゅうへいさんのインフルエンサー引退だとか凄い場所に遭遇してしまったなぁという気分で終えた1日であった。

その日は近くの温泉に行きまたまた山の幸たっぷりの食事を終えて就寝。
しかし野菜ばかりで精進料理の様でもある。

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翌日、宿の勧めで永平寺東尋坊に行くことになった。
永平寺はとにかく広いので(全体を廻って1時間半程度)足腰の弱い人にはちょっと難しいと思う。
個人的には先祖供養できている方のご祈祷が見れたのが、とても有意義であった。
しかし祈祷中にも定年過ぎたであろう夫婦がしゃべりまくっていたので、見かねた夫が注意した。
僧侶は皆端正な顔立ちで声に張りがあり、祈祷にも迫力があった。
福井方面に行く方には是非お勧めの場所である。

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次に向かったのは自殺の名所で知られる東尋坊である。
駐車場から少し距離があった為、足腰の弱い私には若干辛かった。
やっとたどり着いたが風景はこんな感じ。

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ちょっと中に入ってみようとは思えず、1,2分見て戻ることにした。
ポケモンGoで色々出るらしく、観光地として人気も上がっているらしい。

宿に戻ると、永平寺東尋坊を奨めてくれたおかみさんが、どうだったか聞いてきた。
永平寺はとてもよく、東尋坊は岩が怖くて奥まで入れなかった旨を告げると「あんま気分のいい場所じゃないしねえ」と言っていた。(気分の悪い場所を勧めるとは!)

その日も温泉に行き帰って夕食を食べて就寝した。

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夕食

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翌朝の朝食

翌日朝食を取ると大急ぎでパッキングを済ませ、帰路へと向かった。
行きは9時間かかったので、今回はどこへもよらずに帰ることにした。
家に着きレンタカー屋さんに車を返すと「凄いですね!!1200キロ走ってますよ。これって青森から山口まで本州横断できる距離ですよ!!」と驚かれた。
今回はイベントあり、観光有の充実の旅であった。
運転免許の無い私の為に長々と運転してくれた夫にも感謝である。

パーキンソン病の検査に行く

椎間板ヘルニアから一転、パーキンソン病の疑いが出てきた。
(その日はタクシー代も浮くので、レンタカーを借りて、夫に運転してもらう事になった)
早速精密検査を受けることになったが、これがかなりのハードスケジュールであった。まず9時半に脳内物質を集める注射をし、4時間半時間を空けて、核検査、その後17時40分から脳のMRIというものであった。
病院まで1時間程度であったが、一日病院で過ごすか家に帰るか、微妙なところである。

病院について、9時40分に金属出てきた大きな注射器で、薬物を投入したが、午前はこれで終わり。早速どうしようか迷ってきたが、事務の方が親切に「MRIをこの間に入れるか、聞いてみますね」と言ってくれた。
結論、キャンセル待ちだったが、4時間待つよりはましと思い行ってみることにした。
またご親切にも私の歩き方を見て、車椅子まで用意してくださった。

運良く10時半ごろにはMRIが空いたようで、検査できることになった。
頭の部分を固定され、狭い器具の中に入れられた。
しかしこのMRI古いタイプの様で、大分音がうるさい。40分すぎるころには大分ぐったりと来ていた。

ただお陰で時間をつぶすのは容易になった。その後食堂で蕎麦を食べ、ラウンジで読書をしているうちに、あっという間に検査時間の13時半となった。
再度核検査室に行くと、すぐに名前を呼ばれた。
この検査でも仰向けになって、頭をカップの様なものにい入れられ、上半身を固定され検査したが、40分もこの体制でいるのは手足も疲れ、肩まで凝ってきた。

そんなわけで1日の検査が終わったが、前日睡眠薬を飲んではいけない為、体はフラフラ、首も凝りまくった1日であった。
費用は3万円弱...1回高級料理が食べに行けるような値段である...痛い...

結局検査結果が出るのは1か月後。結果は如何に...

椎間板ヘルニアから一転、パーキンソン病の疑い

4月5日に新型の椎間板ヘルニアの手術を受けて、早3か月。
その後も回復の兆しは受けず、慈恵医大を紹介した紹介元の病院で見てもらうものの、ペインクリニックを紹介された挙句、精神的なものと判断されていた。(この医師のどこがベスト・ドクターやねんという対応であった。)

そんなはずは無いと思い、手術をした慈恵医大セカンドオピニオン及び、3か月経過を見せに行ったところ、こちらは深刻に受け止めてくれ、全身MRIを取る事と神経内科を紹介された。1か月に取るのが可能なMRIは健康保険のポリシー上、1枚なので結果が出るのは8月と長く時間がかかる。

神経内科初診の日は間に合わなそうだったので、慈恵までタクシーで行くことにした。
大きなバンの様なタクシーで五輪のマークがついているタイプの車だった。
運転手さん曰く、定年で辞める方向だったが、五輪が決まった途端、皆雇用を延長され、五輪後はサヨナラでバンタイプやワゴンタイプの五輪のマークの入った車も処分されるだとの事だった。明るい五輪のニュースの裏側の厳しい現実である。

行き先が病院だからか自然と病気の話となった。
運転手さんは、今年の2月に前立腺がんで全摘手術を受けたとの事だった。
その際医師から宣告を直接受け、ショックで狼狽したところ「それがこちらの見解なのだから、気に入らないなら他の病院に行ってくれ」と言わんばかりの対応をされたという。ショックで3日間寝込んだが、家族に現実を受け止めるよう促され手術に踏み切った。
また手術が余りにも流れ作業的で、その件で今でもモヤモヤ(恐らく相当傷ついている)していると何度も言っていた。
癌だったというショックな事実だけでなく、病院の非人間的かつ事務的な対応に傷ついているのだろう。
術後半年たっても体調は思わしく無く、力が入らず、尿漏れもあるため、おむつも使っているという。ただ家族を養うために働かなければならない現実が彼にもある。
壮絶な人生だと思わざる終えなかった。
五輪対策で嫌がる人が多い中、英語の研修にも一生懸命な彼に幸あってほしい。

私も盲腸の手術の際「こんな手術で躊躇されちゃこっちが持たないんだよ、盲腸なんてさっさと手術すんのっ!!こっちは年300件もやってるんだから!!」と医者に怒られ、半場無理やりで結論踏ん切りがついて良かったが、あの時もやはりモヤモヤしたものだった。医師にとっては数多い患者だが、その人にとってはたった一つの大切な体だ。やはり病院も良心的で血の通った対応をすべきであろう。(と言っても医師にも余裕が無いのだろうが...)

話は変わって神経内科の初診では、30分程度時間を使って、かなり丁寧にヒアリングと触診を受けた。触診では足や腕を折り曲げたりひねったり、良く分からないポーズをしたが、結論かなりはっきりと「左半身にこわばりと震えがありますね。パーキンソン病の症状に似ているので、一応検査をしましょう」と言われ冷や水を浴びた気分だった。
(同席していた夫は、「あの医者はしゃべりすぎる。普通は精密検査しましょう程度にとどめる」と苦言を言っていたが私は、はっきり言っていくれた方が良かった)

全くこれを「精神的なものじゃん?」と片付けたベスト・ドクターには文句を言いたいくらいモヤモヤである。

パーキンソン病のHPなど見ると症状が「あ~これ、あるある」と症状が色々とかぶるものがある。

不謹慎を覚悟でいうが整形外科医からも、神経内科からも「なんでもありません」と言われる方が、救いようが無くこの際パーキンソン病でも、他の脊椎の疾患でも何か見つからない限りこのままであり困るのである。
盲腸も原因不明のまま7年近く放置されたが、何かでないと私としては困るのである。

しかし重い難病で核検査等は2日間にわたってあり(1度目の検査は1日中入っている)、検査結果を聞けるのも8月末。その日は血液を試験管5本分採血して終わった。
どうなる私...

マイケル・ジャクソン10周忌を悼む

少し時間は立ったが、キング・オブ・ポップマイケル・ジャクソンが急逝してから6月25日で10年となった。

1982年生まれの私にとって、マイケルは子供のころから、親しみのある存在で、その死を知った朝は唖然としたものだった。

マイケルと言えば、作詞作曲が出来ることははもちろんの事、ムーンウォーク、ゼロ・グラヴィティと言った、ユニークなマリオネットの様なダンスで、他者追随を許さぬほどセンセーショナルな存在だった。
過激な歌やパフォーマンスを行う一方で、人種差別の無い世界を信じ、世界平和を求めて積極的かつ人道的に活動していた。

そんなマイケルだったが、子供のころから肌の色で差別され続ける中で、肌の色を変え、整形を繰り返していた。
そんな中、1993年児童への性的虐待疑惑が浮上。私は子供心にこれが嘘であり、マイケルへの名誉棄損とゆすり・たかりであったことはわかっていた。

マイケルが、整形を繰り返し、また手術用の強い麻酔薬でもなお眠れない程の不眠症に陥ったのは、米国のメディアや社会、一般大衆からの、言われない誹謗中傷、好機の目、プライバシーへの侵害に対しての結果であり、私はマイケルは、寄ってたかって殺されたものと信じている。

またマイケルを追い詰めたのは、父の存在も多きかったのではないだろうか。
マイケルは幼少時代から父親から愛情を受けず、精神的、肉体的虐待を受けており、その事が極端に自己肯定感の少ない、またある種幼稚性のある大人へと成長してしまったのではないかと考えてやまない。
マイケルの自己肯定感が低いと思うエピソードとして、レーガン大統領と謁見した際、パフォーマンスを称賛され、それに耐えられず嘔吐してしまったという事があげられる。
またマイケル自身「父と良好な関係を気付けなかったのは、私の人生の中で最も残念な事でした」と語っているように、様々なプレッシャーから耐えきれず、不安神経症不眠症へと進んでいったのには、幼少期の経験も大きいだろう。

マイケルは、徐々に音楽活動から一線を退き、世間を避けるようになっていた。そんな中長年復帰を待っていた私は、2001年NYのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたマイケル・ジャクソン 30周年記念ソロ・イヤーズは忘れることが出来ない。
様々なスーパースターがマイケルの曲を歌い上げた後、マイケルは舞台にてジャクソン5時代の名曲を披露したが、その後歓声に感極まって目を抑えてしゃがみ込んだのである。キング・オブ・ポップ帰還の瞬間だった。

マイケルの死により実現することの出来ななかったツアー「This is it」も素晴らしいものになっただろうと、残念でならない。

マイケルが虐待疑惑の後に出したアルバム「History」は第一曲目がScream(叫び)に始まり、最終局がチャップリンの名曲、Smile(笑顔)に終わる。
Smileを聞く度に、人生にどんなことがあろうとも、笑顔で信じ続ければ道は開けていく、そんな気がしてならない。
マイケルが激動の人生から解放され、天国で人種差別の撤廃や、世界の分断の停止、平和を願ってくれることを信じてやまない。

バセドウ病のその後

先日ブログに書いた通り、バセドウ病の4年半に及ぶ投薬が終了できることになった。
その一か月後健診が先日あった為、また血液検査を行った。

投薬を辞めて1か月、結論TSHの数値が標準を超えており、他の数値も上昇傾向にあった。
また1か月後に検査をして、数値が悪ければ、薬を再開することになった。

前回投薬中止の診断を受けた時も、半分以上が再燃(いわゆる再発)してしまう事を聞いていた為ぬか喜びはしないと決めていた。ただ、1か月で異常値が出てしまうとなると少し落ち込んだ気分になった。

だが考えてみれば、症状が苦しい中10年も経過観察だったことから、治療が始められたこと、またやはり快方に向かっている事、治療が受けられることに感謝し、先生のいう事をきちんと聞いて、出来ることを淡々とこなすことが、私にできる最善の事ではないのだろうか。

私の通う大学病院では、障碍者の方が作るお菓子を販売している。
何故か障碍者の作るお菓子はいつも優しい味がする。
それを励みに完解を信じて頑張りたいと思う。

椎間板ヘルニアの新型手術:予後④

さて、4月5日に受けた、椎間板ヘルニアの新型手術ヘルニコアの予後についてである。

http://ir.seikagaku.co.jp/condoliase/information/main/00/teaserItems1/02/linkList/05/link/180723KanjyaSasshi.pdf

結論悪くなっている状況は変わっていない。今までになかった腰痛が出現し、足がこわばるため、スーパーにすら行けない毎日だった。

その為再度MRIを取りドクターに見ていただいた。結論ヘルニアは順調に小さくなっており、さらなる外科手術は得策ではないとの事だった。
また私がうつ病サインバルタを飲んでいる事に着目し(サインバルタ抗うつ薬だが、神経疼痛にも効果がある)メンタルクリニックサインバルタを増やすのが得策ではないかと言われた。つまり痛みは精神から来ているとの判断だった。また近くのペインクリニックの紹介も受けた。

その日のうちにペインクリニックに行ってきたが、やはり痛みは精神から来ていると思われ、メンタルクリニックサインバルタを増やすことが得策との事だった。

数日後メンタルクリニックを訪れたが、精神科医は「精神的なものでそこまで足引きずってるのは考えにくい。セカンドオピニオン取った方が良いのではないですか?」
との事だった。

やっぱそうだよなーーーーーー
私は盲腸を、6年間食中毒だの胃腸炎だのと誤診を受けまくってきたし、(おかげで手術を受けるころには、大腸と癒着してしまっていた)バセドウについても10年近く、症状がひどいにも関わらず経過観察だった。
これも椎間板ヘルニアと思いきや、全然違う病気だとかありえないだろうか。案外整形外科の領域をはみ出たところにあるのかもしれないとも思ったり。

が、取敢えずサインバルタメンタルクリニックで増やしてもらったところ、やはり痛み止めの薬だけに症状は若干良い。

根気強く対応していくしかないが、どこに向かったらよいやら...
どなたか足の甲の痛みやふくらはぎ横のこわばりで、歩けず悩んでいる人が居たら是非、お話お聞ききしたい…(涙)